2005年07月12日

スポーツ回想録 〜ナミビアの鉄仮面〜

さっきシャワーを浴びながらぼんやりと思いました。

自分はほとんどのスポーツが好きなんですが、
その中でも好きな競技となるとそれなりに絞れるわけです。
具体的には陸上、サッカー、F1、NFLとか。
その後にバレーボールとか野球とか色んなものが続いてくって感じです。

でも一番好きな選手となるとどうだろう?
全てのスポーツで一番好きな選手。
F1やNFLは好きだけど、
まだまだ浅いから一番好きな選手というと難しい。
逆にバレーボールとかは好きな選手っていってパッと浮かんだりするし。


誰に言われたわけでもないのに考え出したら止まらなくなっちゃいまして。
ものすごい真剣に考えてしまいました。
それぞれのスポーツで好きな選手を何人か考えて、
その中から誰が好きか、っていう感じで。

とりあえず「ここは外せないな」っていう選手、
いわゆる最終候補を5人まで絞りました(笑
陸上2人、サッカー2人、バレーボール1人です。

ちょっとこれから不定期でこの5人の選手について、
独断と偏見と間違った知識の入り混じった文を書いていこうかなと思ってます。
一人一人の思い入れがとても深いので、
多分一回の長さがとんでもないことになります。
読まれる方は覚悟して読んでいただけると嬉しいです。



では第1回目。
難しいけど多分5人の中で一番好きなのはこの選手
『ナミビアの鉄仮面』F・フレデリクスです。


F・フレデリクスを知ったのは、
91年の世界陸上東京大会が最初でした。
といってもその時はあのM・ジョンソンのはちゃめちゃな走りの印象が強すぎて、
その後の大会で再び見たときに、
「確か東京でも出てたなぁ。すごい綺麗に走るなぁ。」
と思ったのが正確には最初かもしれませんね。

200m、100mで世界のトップクラスの走りを、
長きに渡って披露し続けてくれた唯一の選手だと思います。
しかし、陸上史の中で記録、成績共に残る選手だったかと言えばノーです。
陸上に詳しくない人にとっては、
カール・ルイスやM・ジョンソンは知っていても、
F・フレデリクスは知らない、聞いたことがないという人が圧倒的に多いでしょう。


それはなぜか?
F・フレデリクスを語る時に絶対に出てくるのが、

「シルバーコレクター」

じゃないかなぁと思います。
これを聞くと女子のM・オッティを思い出す人も多いとは思うんですが、
F・フレデリクスこそがそうじゃないかなとわだちは思ってます。

単純に考えて、
91年から引退した昨年まででも13年。
おそらく競技生活自体は15年を超えるでしょう。
若い選手が毎年のように台頭し、
記録を塗り替えていく短距離界に置いて、
この競技生活の長さは驚異的としか言えません。

しかし、不運なことに金メダルにだけは運がありませんでした。
競技生活の間に世界陸上が7回、五輪が4回あったにも関わらず、
金メダルは確か93年の世界陸上イエテボリ大会の200mだけ。

15年の競技生活(ここではそのように仮定します)。
その15年間、頂点に君臨し続けていてもおかしくない力を持っていながら、
どうしても勝つことのできない理由が不運にも付きまとっていました。

「MJ」、M・ジョンソンの存在です。

200mで21連勝、400mで56連勝という記録を持つ化け物が、
F・フレデリクスの競技生活中、ずっと前に立ちはだかり続けていました。
M・ジョンソンが引退したのは、2001年。
F・フレデリクスがピークをとうに過ぎてからのことでした。

100mでも同じでした。
15年の間にカール・ルイス、D・ベイリー、M・グリーンなどの歴代世界記録保持者が常に誰かしら立ちはだかっていました。
F・フレデリクスの100mベストタイムは、
確か9秒86。
91年の世界陸上でカール・ルイスが出した世界記録と同タイムでした。


F・フレデリクスの陸上史に置ける成績というのは、
93年世界陸上200m金、
バルセロナ五輪100m、200m共に銀、
アトランタ五輪100m、200m共に銀、
というのが主なところです。
五輪2大会連続2種目銀メダルというのはすごいことに感じられますが、
何十年経っても記録として取り上げられるものではないでしょう。


それでも自分がF・フレデリクスを好きなのは走りはもちろん、
その人間性に惹かれた部分が大きいからです。

F・フレデリクスはナミビアという貧しい国を世界に知らしめただけでなく、
後進の指導や環境作りにもとても力を入れた選手でした。
自分がわかる限り、それまでナミビアに1つもなかった、
陸上の全天候型競技場を2つ建設しています。

とても真摯に競技に打ち込み、
その謙虚な姿勢は他の選手からも愛され、尊敬されています。

M・ジョンソンは引退レースとしてMJドリームチームを組み、
スーパー陸上でスウェーデンリレーを走ったのですが、
そのメンバーはMJ以外に2人のアメリカ人選手と、F・フレデリクスでした。

引退記者会見でM・ジョンソンは、
「一番記憶に残るレースは何か?」
という質問に対し、

「全てのレースだ。ただ、一番記憶に残っている選手はフレデリクスだ。彼とはずっと一緒だったんだよ。」

と答えています。

さらに、F・フレデリクスの引退レースとなった昨年のスーパー陸上。
前日の記者会見で、M・グリーンがこう言っていました。

「今回参加することでもっとも光栄に思っているのが、フレデリクス選手という素晴らしい選手のラストレースを一緒にできるということです。」

本当に他の選手から愛された選手でした。



長くなりすぎてしまいましたね。
自分の勝手な思いにお付き合いいただき、ありがとうございました。
最後に、F・フレデリクスがどれだけ偉大な存在であるかを端的に表したエピソードを一つ。

昨年のアテネ五輪、男子200m決勝。
スタジアムはとてつもないブーイングにつつまれ、
全くスタートが切れる状態ではありませんでした。
その理由は99年世界陸上、2000年シドニー五輪の同競技で優勝した、
地元ギリシャの英雄、ケンデリスがその場にいなかったから。

スターターが選手を立たせ、観客に静かにするように促す。
まだ観客がざわめく中、
何とかスタートを切るも選手の集中力が続かずフライング。
すると再び大ブーイングが始まりました。

その場を何とか収めようと、
一人の選手がスタンドに対して手を広げ、
「落ち着いてくれ」
とジェスチャーで促す。
すると観客が先程とは打って変わってレースに集中するように切り替わりました。
スターターがなだめてもダメだった観客を収めたのは、
他ならぬF・フレデリクスでした。

そのアテネ五輪200m決勝。
アメリカ勢がメダルを独占した影で、
F・フレデリクスは4位でゴールしました。


F・フレデリクスは今、IOCの選手委員として活動しています。
今後更に陸上界の発展に尽力してくれることでしょう。

ナミビアの鉄仮面に、最大限の敬意を表して。
わだちでした。
posted by わだち at 01:29| Comment(1) | TrackBack(0) | スポーツ回想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
F・フレデリクスのこと、走る姿しか知りませんでしたが、彼の人間性を詳しく知ることが出来ました。ありがとうございました。思ったとおりの人物でした。さらに、彼の陸上に対するひたむきな姿勢に感動しました。
Posted by mom at 2006年06月30日 21:32
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