2005年10月09日

日曜の楽しみの前に

先週末に思ったこと。

重い話も入るので、嫌な人は読まない方がいいと思います。
重い話もあるんですが、
何かあったとか情緒不安定というわけではないのでご安心を。
ずっと書く機会がなかったので、
時間がある今書こうと思っただけですので。


先週末、1日の土曜日に法事があった。
25回忌だと思っていて、
そんな生まれてもいない頃の人知らねぇよと思っていたのだけれど、
いざ帰ってみると33回忌だった。

33回忌という古い人であることと、
次が50回忌で最後ということで、
今回は家の人間と、父親の妹の叔母の家族とだけで小さく行った。


お寺でお経を聞いている時に、
自分や2人の年下のいとこも含めて誰一人として制服がいないことに気付いた。
以前自分がこういった法事や葬儀に出たときは、
姉も含めて子ども4人全員が制服や私服だったのに。
その後も周りの人に不幸があった時に自分は諸事情で参列出来ていないので、
それもあるのだろうけど早いもんだなぁなんて思う。

俺らの中にこの人を知ってる奴なんていないのにな。
これだけ長い期間しっかり供養するということはとてもいいことだと思うけれど、
知らない人に対してここまでするのも不思議なものだとも思った。


法事が終わった時にふと思い出した。
自分は、大切な人の葬儀には参列できていないんだな、と。





大学1年の4月、友人が死んだ。
高2高3と同じクラスで、本当に仲のいい友人だった。

知らせを聞いたのは違う友人からの電話だった。
全く信じられなかった。

本来なら高3当時学級委員であった自分が担任に確認を取って、
クラスのみんなに知らせなければならなかった。
しかし、東京で一人、担任やクラスのみんなに連絡を取る手段もなく、
結局それらは全てその友人が行ってくれた。


その知らせが本当だとわかった時、
自分の中にあったのは悲しみよりも責任感だった。
とてつもなく悲しかったのだけれど、何故か涙は出なかった。
それ以上に早くみんなに知らせなければ、
それが出来るのは自分だけなのだという思いがとても強かった。
不思議と恐ろしく落ち着いていた覚えがある。

クラスのみんなには友人が連絡してくれていたので、
高3のクラス以外の友人に片っ端から連絡した。
みんな驚き、悲しんでいた。
電話口で泣いている友人もいた。
それでも自分は冷静だった。
今自分にやれることをしっかりやらなくては、と。
亡くなった友人にはもうできないんだから、と。


結局、自分はお通夜にも葬式にも参列できなかった。
友人が亡くなってから話を聞くまでに少し間があり、
お通夜、葬式がすぐだったこと。
その日に必修の授業がことごとく重なっていたこと。
全てが間が悪く参列することが出来なかった。

後日週末に同じく参列できなかった友人たちとお線香を上げさせてもらいに行った。
叔母さんが泣きながら話をしてくれた。
以後、毎年友人と墓参りに行っている。
これだけは何があっても死ぬまで続けるつもりだ。


葬儀の日、友人と2人で出棺の時間に合わせて煙草を吸った。
それまでにも吸ったことはあったけれど、
初めて自分で煙草を買ったのはその時だ。
亡くなった友人は不良とかいうことではなく煙草を吸っていた。

そして以前、
今度大学入ってから会ったら一緒に吸おうな、
という話をしていた。

結局それは叶わなかった。
以後、自分は煙草を吸っているし、
今でも煙草を吸っているとふと思い出すことがある。
普通に吸うようになった今、友人との約束のためなどと言う気はないが、
吸い出したきっかけはこのことだった。





話を戻して。
自分がまだ生まれてもいない頃の人の法事をこうやって行うのは、
ほんとに不思議なことだなぁと思っていた。
だが、法事は亡くなった人のためだけではないのだなと思う。

その人の生前を知っている人が集まり、想い出を語ることの出来る場。
それを亡くなった人に見せてあげる場なのだ。

親戚の叔母さんが亡くなった時、友人の妹が亡くなった時、そして友人が亡くなった時。
それぞれの家族はみんな涙を浮かべてこう言ってくれた。

「よく来てくれたね、本当にありがとう。きっと喜んでいるよ。」

今までに身内に不幸がなかったことや、
死に目に会えていないということもあるのかもしれないが、
誰かが亡くなった瞬間よりもこの瞬間の方が自分は泣きそうになる。

昨日までそこにいた家族が亡くなり、
本当に悲しい時にそれを押し殺して暖かい言葉をかけてくれる。
その瞬間が本当に悲しくて、切ない。


法事とは、その悲しみを癒すための場所なんだと思う。
家族を失った悲しみを周りの人間が少しでも助けてあげようとする場。
亡くなった人や、その家族に対して、
周りの人が出来る唯一のことなんじゃないかと思う。
自分がその人を知っている知らないの話ではない。
悲しみを癒すための場なのだから、
自分に出来ることをすればいい。


そんなことを思った法事だった。



今年、友人の墓参りにはまだ行けていない。
毎年命日付近か夏休みには行っていたのだけど、
今年は予定が合わなくて行けていないのだ。
今月は予定が比較的空くので、必ず行こうと思っている。

うっちー、待っててな。
また墓の前で一緒に一服しようぜ。


わだちでした。
posted by わだち at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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